泣きたい

別の日。自分のロッカーの前で鼻がつん、として、もうその時はまわりに誰もいなかったし顔が見えないくらいに暗かったから、なんならそのまま泣いてもよかったのだけど、やっぱり誰が来るかもわからないので別のたてものに入って、あたらしいトイレに座って泣いた。

別の日。自転車で長い長い坂を下りながらかなしくなって、ちょっと自転車乗るのも危ないくらい視界をぼやけさせながら漕いで、部屋について鍵をかけた瞬間わあわあ泣いた。わあわあ泣きながら、お弁当箱を洗って、買ってきた納豆を冷蔵庫に入れた。

今日。ミドリに電話をしたら繋がらなくって、しばらくしたら「ごめん、仕事中だった!どうしたの?」とラインが来て、「大丈夫、なんにもないよ〜」とハッピーなスタンプと一緒に返したら「大丈夫?」というスタンプが送られてきて、仕事で疲れてるだろうに何気使わせてるんだろうとか、このひとはわたしをすきでいてくれてるのかとか、そういうことがわーっと襲ってきて、ぼろぼろ泣いた。「大丈夫!風呂入って寝る」と言ったら「おやすみ」と返されて、自分で切り上げたくせに悲しくなってまた泣いた。
ずうっとさみしいしかなしいし疲れている。最初それほど大変でもないと思っていた夕飯をつくることとか、帰ってきたらもうお風呂に入って寝ちゃいたい時間で、半額になっていたパンを食べて寝る。ひとりで月9見てかっこいい〜って言って、晩御飯を食べにおじゃましようかとか考えるけどやっぱりお互い気使うよなあと思ってあきらめてレトルトカレーをあっためる。
塩田さんに会うのにもいままで15分で会えたのに今では2時間かかる。もう二か月半も会えていない。ミドリにも、もうずっと会えてない。塩田さんも、ミドリも、わたしのだいすきなひとだ。今後どうなるとしても、今のわたしにとっては、それはもう揺るがない。今後のわたしが「あの時のわたしはばかだった」などとのたまっても。
おばあちゃんはわたしを心底心配してるみたいだけど、まだ挨拶に行けてない。壁に増えていくポストカードと写真、写真はぜんぶ少し前までそばにあったもので、ぜんぶすきなものだった。

泣いても泣いても誰も、どうしたの、大丈夫、かなしいの?なんて聞いちゃくれなくて、そりゃひとりのときに泣いてるから当たり前なんだけど、それがむしょうにかなしい。わたしのこの涙はなんの、クソの役にも立たないんだと思いながら、でも泣くとすっきりするからぼろぼろ泣く。たまになんで泣いてるのかよくわからない時もある。だれも教えてくれない。
帰り道に、塩田さんの苗字が会社の名前の会社があって、それを見るたび元気かなって思い出す。それもかなしくなる原因だと思う。

かなしくてさみしくて帰りたい。