レッツゴー安寧

このあいだ、母と居酒屋に行った。

居酒屋のあのがやがやとした感じとお酒に合う味付けにされた料理がわりとすきだ。なんか「紛れている」感じがする。誰もわたしのことを気にしていない感じ。

母とわたしはツボとか考えとかが家族のなかでもすこし似ていて、母と話すのはとても楽しい。家族にしか通じないノリも通じるからニコニコになる。母は愉快なひとなので笑いが止まらなくなる。

目の前に水槽があるカウンター席だった。車と「風立ちぬ」で見たような飛行機と大きな石が置いてある大きめの水槽だ。そこでは小さい魚が三匹と大きめの魚が一匹泳いでいて、小さい魚のうち一匹はなぜか立ち泳ぎをしていた。

母が「この魚たちさあ、生きがいとかあるのかな」なんて言い始めた。

「ないんじゃない?」

「こんな水槽でただ泳ぐだけでさ、多分食べられもしないのに」

「海が恋しいかもね、いや海の存在を知らない場合もあるのか」

動物って、特に魚って、感情がものすごく人間には分かりづらい。さすがに生きたままさばいてびちびちしているのは「痛いのか」とわかるけど、うれしいとか悲しいとかおいしいとかまったくわからない。あ、イルカは別。いや魚じゃないか。

ちなみにわたしは「踊り食い」が見てられない。痛そうだから。わけもわからない怪物に生きたまま食べられる恐怖は想像するだけでしんどいのでひとおもいにころしてほしい。

 

 先日わたしが新幹線で最寄駅を乗り過ごした時の話になって、

そのとき迎えに来てくれた父に「いつも勝負しないとダメなんだ、いつまでもはぬるま湯の中で生きていかれないんだから、注意を怠るな」という話をされたのだと話したら、

母は「お父さんは努力をしてきたひとだから、気になるんだよ」と言った。

「べつにあなたが、お父さんみたいな生き方する必要ないよ」とも。

「でもわたし、来るもの拒まず去る者追えずみたいな生き方をしてるから、ここいらで万引きとかしたほうがいいかなって」と、最近思っていたことを話したら、すごく笑われた。「警察に迎えに行くのが嫌だからやめて」って、そこかい!でもまあ警察に迎えに来させるのは悪いのでやめておこう。

 

母は更に、「そんなね、いつも勝負の人生じゃなくても、今頑張り時かな?っていうのはなんとなくわかるもんだよ。その時にちょっと頑張ればいいの。自分の生きやすいとこで生きな」と言ってお酒を飲んだ。わたしはそれに納得して、帰ったら手帳にメモしようと決意した。

 

この間読んだ「西の魔女が死んだ」でも、こんなことが書いてあった。

 

自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか

 

自分が生きやすいところで、たまにがんばって、っていう生き方がわたしには合っているような気がする。気のせいだったら、まあ、そのときはそのときだよね。